強くあるために

気づけばこんなに更新が開いてしまいました。

別の仕事が立て込んでいたのもありますが、、書きたいことはたくさんあるので、もっと更新していきますね。

実は今、義理の母が来ております。

今回は少し長めの滞在なのですが、息子は遊び相手が増えて相当楽しいようです。

そこで、私の弱さが露呈しました。

 

息子は、起きたらすぐに義母を起こしに行き、そこからずーっと義母と遊んでいます。

私と関わるのは、バイオリンのレッスン、お風呂、夜の歯磨きくらい。。?

そして、肝心なときに言うことを聞いてほしいときに、全く聞かない。。。

わざと泣き真似をしたり、叫んで暴れたりします。

 

毎日これが続くと、ほとほと嫌気がさし、とても悲しい気持ちになり、さらには涙が溢れてきました。

 

その時、私の心の中に変化がありました。

 

「私はいなくても大丈夫なんじゃないだろうか」

 

私は実は、出産して以来「この子には私が絶対にいてあげなきゃダメだ」という感情になったことがありません。

むしろ逆で、「私がいなくても、この子は生きていけるだろう」と、かなり冷めた?感情でいました。

自分と子どもを切り離して考えられているなら良いのですが、私の場合はかなり依存的な面があります。

というのも、「どうせ私なんか、いらないんだろう」という結論に至ってしまっている自分に気づいたからです。

 

子どもの私への反応を見ることで、私の存在意義を定義している

自分のことを必要としてくれないなら、切り捨てるような冷酷な心

 

何て最悪な毒親なんだろうか、自分は。と愕然としました。

そして逃げたくなりました。

大嫌いな母と同じようなことをしているであろう自分に、嫌悪感しかありませんでした。

 

 

思わず涙が出てしまった日の夜、息子とたくさん触れ合うことを意識し、たくさんお喋りをしました。

そして、自分にとっては意外なほどまでに、息子と一緒にいたい自分に気づきました。

息子のことが大好きでたまらないから、こんな気持ちになるのだ、と気づきました。

義母に嫉妬していたのですね、恥ずかしい話なのですが。

自己肯定感が低いのも原因ですがね。

 

 

ある人にこう言われたことがあります。

人が怒るのはなぜなのか。それは愛のせいである、と。

 

 

なるほど~と思いますね。

本当にそうです。

愛がなければ、愛の反対の無関心であれば、怒りや悲しみなどの強い感情は決して沸いてこないですね。

 

そして、幼い頃から言われてきて染みついている教え「神様は乗り越えられない試練はお与えにはならない」が過ります。

 

今回の義母の滞在で、今までの私と息子の生活とは大きく違うことがたくさん出てくるでしょう。

そのたびに湧き起こる感情を心から味わいつくし、自分を成長させる機会と思い、日々過ごそうと思います。

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